雪やこんこん2006年01月21日 22:10

今日は僕の住む地方でも雪・・・そんで引きこもってたわけですが,運動もかねて少しだけ雪かきしました。

 夕方から雪の勢いが弱くなり,除雪したところにさほどは雪が積もってませんでした。まぁ,どちらにしても早めに除雪しないと,後で大変なのは違いないし。

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 さて,ここ最近の話題をかっさらってるホリエモンのニュースについて少し。

 まぁ,ライブドアのやったことが本当に悪事だったなら,存分に暴きだしてもらいたいモンだ。法を破る者に市民権なし。

 でも,気になる点がある。

 一部の指摘では,ライブドアがやったことは,違法性があるとしても,そんなに重大な範囲に入らないらしい。その程度のことに,地検の特捜部があれほど大規模に動くのは,見る人が見れば異例に近いとか。それに,この程度のことは他のバブリーな長者達の常套手段であり,地検がその気になれば,それこそどれだけの摘発対象者が出るかわからない,とも。

 それがもしそうだとして,もちろん,悪を摘発することに異論は無い。でも,タイミングとマスコミの対応が気になるのだ。

 タイミングとしては,違法設計に関わった強欲どもが,建築族の政治家と関わってどうのこうの,という話題がかなり濃くなってきた矢先,ということ。ここに,何らかの意図があったなら。。。事実,この一件で建築不正に関する報道は極度に減った。特に,業者どもと政治家の関連についての報道は,極めて扱いが小さいものになったと思う。

 閉鎖的な経営を続ける大手マスコミにとって,ホリエモンのやり方は経営形態の継続に非常に厄介であることが証明された。だから,ホリエモンのスキャンダルは,マスコミにとって,叩くには格好のネタ。

 では,ホリエモンの話題と建築設計の偽装,どっちがより多く直接的に人の命を危険に晒す?

 もし,今回のホリエモンの一件が政治家の圧力によるものなら,ホリエモンのことしか報道しないマスコミは,腹を切って死ぬべきだ。理由は,より多くの人を殺す(可能性のある)事件を報道しないからである。そして彼らはただ死んで(以下,長いので略)

 とにかく,建築偽装にまつわる不祥事の報道の頻度を減らすな,と,僕はマスコミに言いたい。まだ事態の収拾なんて遠い先の話なんだから,報道を正義と錦の御旗みたく言ってる立場なら,政治家の不祥事も含めて,建築偽装事件を徹底的に追及してみろ,っての。

 とくに,日本を売りたいかのような某新聞,アンタらは庶民の代表だと自分たちで信じてるようだけど,だったら,どっちが庶民の生活に危険な事件なのか,わかるよね?こんなときくらい,まともな報道してみろよ。

データ捏造について思うこと2006年01月11日 00:04

たまには真面目なお話でも。

 韓国・ソウル大学の教授が引き起こした「論文捏造事件の検証」は,調査した大学側が今日(正確には昨日か)に最終報告として,全てのデータが捏造であった,との調査結果を報告しました。

 嫌韓な人々には格好のネタになるようですが,僕自身はこの件については韓国という国の良し悪しは興味がないので,自分自身がライフサイエンス(生命科学)に携わる科学者の端くれとして,思ったことを書いてみます。

 世界の最先端の研究はまさに生き馬の目を抜くような場だ。良い論文(=成果)を出すためには資金が必要,その資金は論文の数や掲載される雑誌のグレードなどが加味されて決まる。優れた論文を頻繁に出すことを要求される世界だ。この教授もそんな中で,世界をリードし,注目を浴びる研究をし続けるために,このような捏造をしたのだろう。そして一度,優れた成果を出したら,もう後には引けない・・・そんな悪循環の積み重ねと思う。

 そうまでしてデータを出したい気持ちはわからんでもない。ずいぶんと次元は違うが,僕自身の経験では,博士の学位に必要な論文を出したくてもなかなか思うとおりのデータが出ず,その頃は論文を楽に出せるのならウソのデータでも書きたいくらいだ,などと思ったものだ。

 またこの教授の場合,研究チームには世界でも類を見ないほどの莫大な予算がつぎ込まれていたので,華やかな成果を出してナンボ,という状況があったことも,捏造を後押ししたのでろう。

 ・・・でも,それでも彼の捏造が事実なのであれば,それは科学者として決して許されることではない。

 思うに,科学者は科学に対して常に謙虚であり,敬意を持って取り組まねばならない。その理由は,人類が発展してきた原動力が科学そのものだからだ。つまり,科学(文系理系問わず)は人類の英知の積み重ねであり,ウソをつくことは,科学への冒涜であると同時に,今後の人類のよき発展の土台を揺るがすものに他ならない。ならば科学者は,少しでも科学の進歩に貢献できるよう,自分の出す結果には常に公明正大であることが求められるはずだ。科学者がウソの知見を科学として積み上げるのは,自らの存在意義を真っ向から否定するものだ。

 科学界で今や普通のことになってしまった「過剰な成果主義」は,今後もこのような事件を引き起こすかもしれない。いや,明るみになっていないだけで,水面下に潜んでいるかもしれない。

 それでも僕は,一人のしがない科学者の端くれとして,世界の大多数の研究者は,科学の進歩に貢献することを目標にして真摯に日々の研究を行っている,そう思ってやまないのだ。